2007年 04月 19日
やってきました、まつげエクステンション。 従姉妹が今習っている学校の練習台になってきた。 前、姉が家でやってもらったときに、目の周りの形と、選んだツケまつげが合わなくて えらいことになっていたのを目の当たりにしているので、とにかく自然に、と何度も 念を押す。 目の周りに白いテープを張ってちょっと目が開いた状態をキープすること約2時間。 途中でどんな感じになっているのか確認できないので、従姉妹が あ! だの え! だの声をあげるたびに、どうなってるんだろうとちょっとドキドキ。 でも、見守っているアシスタントさんが、うまいですねー、きれいにできてますねーと しきりにほめていたので、そんな変にはなってないだろうとは思ってた。 2時間後。 じゃん。 鏡をもらってみて、え?これ、つけてる?っていうくらい、すっごくナチュラル。 いつもマスカラを下も上もちゃんと塗るので (というか、それくらいしか化粧という化粧は しないので)それよりも目立たない感じ。 ただこの上にマスカラを塗ると、線が太くなって、ばっっちりバシバシになる。 格好にあわせてどちらもできそう!! なんかネイルもエステもなーんにもしたことなかったんで、ちょっと女の子っぽい ことをした満足感でいっぱい。これをきっかけに、次はまつげを整えたい! ちさ、上手にしてくれてありがとねー!! #
by halfbeak35
| 2007-04-19 21:59
2007年 04月 18日
ひさびさになんにも予定がない一日!! 昨日の夜から、頭の中で一日のスケジュールを考えてた。 なぜか、有意義な休日にしなくては!!という思いにかられてしまう。 でも、やりたかったことがいくつもできるのは、たいそう気分のいいことだ。 朝ちゃんと7時に起きて、部屋を掃除し、犬を散歩に連れて行き、 洗濯をした。順調、順調。 昼食には、ナスのグラタンとサラダをつくり、今日は昼から飲んじゃってます。 ここまでは順調だったんだけど・・・ 眠い。 私の計画ではワインを飲みながら残りの一日は勉強するはずなんだけど・・ 今日のワインはこれ。 昼から一人で部屋でまっかっかになってる私の顔の写真はやめときます。 ちなみに連休なんですが、明日は従姉妹のまつげエクステンション教室のモデル というか練習台になってきます。 今度あうときは、やたら伏目がちな目線をするかも。 最近、姉も母もまつげエクステをして、みんなキューピーみたいな目の一家です。 #
by halfbeak35
| 2007-04-18 14:34
| FOOD
2007年 04月 16日
最近自分の中で和菓子がブームだ。 3月の終わりからアメリカから友人が2人連続で訪日したので大阪・京都の案内をしていた。 うち一人はシェフなので、特に関西の食文化をみせてあげたくて、京都の老舗菓子屋の老松 さんの和菓子体験教室を予約した。 菓子屋の入り口の横の深い藍色ののれんをくぐり、まっしろな作業着に身を包んだたくさんの 職人さんたちが黙々と静かに働く作業場をぬけ、階段をのぼると教室がある。 ちょっと昔の寺子屋のような感じで、背の低い机が人数分並べてあって、そこに正座をして聞く 京菓子の歴史はとっても興味深い。 たとえば世界でお菓子で有名な都市は4つあって、それはパリ、ウィーン、香港、そして京都だ そうな。その4つの共通点はなんでしょう?と先生。 はて?四季がある? 王室がある? みんなが口々にいう答えをきいてから先生が、実はこの4つの都市に住み人たちはみんな 性格が悪いんですよ 笑。 だって。外からくる新しいものにあまりオープンでなく、頑なで、 自分たちの伝統を盗まれないようひっそりとまもり続ける。そんな気質にお菓子の伝統もまもら れているらしい。 そんな話をひとしきり聞いた後、やっと和菓子つくり。先生がお手本を三つ前でつくるのをみんな で囲んで見る。先生の手はすいすいと動いて、すべすべのこなし餡がどんどんきれいな形にな っていく。今日つくるお菓子はさくらと、椿、そして菜の花。 3年ほど前にカナダの友達と同じ教室に参加したときは、見るも無残な物体が出来上がり、自 分の血には日本人のきめ細やかさ、器用さのかけらも流れていないなあ、と思ったので今回も あまり期待はしていなかった。が、ジャン!! なかなかよいではないか。やっぱり私も確実に年をとって、前よりかは幾分、忍耐力というもの が身についたんだなあ。 お菓子は全部で5つ作ることができ、そのうち1つは先生がいれてくれるおうすと一緒に食べれ る。もっちりとしたこなしの食感、さらっとした甘みと、口でとける餡のなめらかなこと! 一番感動したのは、お菓子の中にみえる人間の感性の鋭さと、お客さんに喜んでほしいとの 気持ち。京菓子がオーダーメイドなんて始めて知った。たとえば、甘いものが苦手な人のため には餡をたくとき、渋きり (豆を煮た後、灰汁や渋みを水でさらしてとる) の回数を減らして すこし苦味のある餡に炊いたりするそうな。なんて細やかな心配りなんだろう。 なんかいいなあ。 自分はまったく和菓子に縁がない生活をしていたのに、先生の話を通訳してあげながら ちょっと日本を自慢している自分がいた。 #
by halfbeak35
| 2007-04-16 10:52
| FOOD
2006年 11月 10日
ムラサキの雲のその先を見ようと君は先に走り出して消えた 恋する 焦がされ 愛され 想い出になる <Happy Ending> 街を歩いていると、人間の嗅覚と聴覚は、とても思い出、記憶というものと密接にかかわっているということに気づく。たとえば、べたな話だけれど、人とすれ違って同じ香水の残り香の中で、ずいぶんと昔の好きだった人を思い出したり、だんだんと寒くなる冬の夜の匂いに、部活で遅くなったときの帰り道の風景が、バッと頭に浮かんだり。そのときに新曲としてTVでよく聴いていた曲が懐メロとして紹介されているのを聞くと、そのときの自分、周りにいた人、やっていたこと、自分を取り巻いていた空気感みたいなものをけっこうリアルに思い出せたりする。 ただ、これは記憶、思い出にしかすぎない。こうだった、と頭の中にある机の引き出しから思い出をとりだして眺める、という行為であって、まったく同じことを体で感じるということではない。だからこそ、楽だったり、笑えたり、懐かしんで、愛しく思えるんだけれど、逆に、思い出に、記憶にしてしまいたくないものもあると思う。あの時は、もっとビビットだったのに、あんなに素敵だったのに、ベールが一枚かかったように、少し隔たりがあって、しかもそれの変化が自分の気づかないうちにいつのまにか起こっていて、ほっとする反面、なんだか少し寂しいときもある。 昔、ものすごく好きな歌い手さんがいた。音楽を聴いて、本当に涙を流したのは、その人だけだ。ちょうど、大好きだった人に振られたのと重なって、その音楽の中に自分を重ねていたんだろうと思う。まあ、でも、なぜ自分はこの歌が好きか、そんな理由とか分析とかはどうでもよくて、とにかく好きで好きで、彼女の出身地にまで、でかけたほどだった。その頃、いつも自分の生活の中で彼女の音楽が流れていたし、彼女の音楽を聴くたびに、そこに入り込んで、いつも胸がひりひりしたり、目頭が熱くなったり、たまに本当に泣いたりしていた。しばらくして、彼女は音楽活動をやめてしまった。 それから6年がたった。気づいたら、彼女は活動を再開していた。新しいCDを店頭で見たときに、なぜか手を出せなかった。なんというか、聴くのが怖かった。うまく言葉でいえるかわからないけど、彼女の音楽をきいて、自分が何も感じなかったらどうしようって思った。他の歌い手さんとかだったら、あー、音楽性が変わったね、とか、前と違うねー、で終われると思う。ただ、本当に彼女の歌は私にとって特別だったから、そんなことではすませない、という気持ちがあった。彼女の歌は、どうせあなたたちは私のことなどすぐに忘れる、といった類の歌詞が多かったから、余計に私は絶対、彼女に対する思いをなくしたくない、と思っていた。あと、自分が年をとって、敏感さ、とか感受性とか、そういうものを失ってしまってるんじゃないだろうか、という気持ちもあった。なんか、自分があの時に全身で感じたもの、感じた自分が、「あのときは感動できたのにね」と、過去のものになってしまうのが、どうしてもいやだった。 少し話はそれるが、高校の時の国語の教科書にのっていた夏目漱石の話はとても印象的だった。たぶん「硝子戸の中」という話だったと思う。話はうろ覚えだし、自分なりの解釈だけしか覚えていないので、ちゃんと読んだ人には、そんな話じゃないっていわれそうだけど、まあ、よしとしてください。作家である主人公の所に女性がたずねてきて、「私が今、心に持っている気持ちはとても鮮やかで美しく、そして苦しい。私はこれが記憶になって、色あせていくのが耐えられない。この思い出を鮮やかなままにしておくために死んだほうがいいか、それとも色あせていくとしても、生きていったほうがいいか。あなたなら、どうするか?」と聞く。主人公は、いつも自分は、登場人物に死を選ばせていることを考える。確かに、話としては美しい。しかし、主人公は、女に、では死んでおしまいなさい、とは言えずに女を帰してしまう。まあ、そういった話だった、と思う。 ちょうど、この話を授業で習っていた頃に、初めて本当に人を好きになって、そして昼ドラのような、散々な結末になった。どんなに苦しくても、執念深く、この人だけを思って生きていってやる、と思った。傷口がいつかふさがって、そこにかさぶたができかけても、自分でそれをめくってまた血を流して、そうやってその傷と生きていこう、っておもっていた。死ぬのは怖いし、なんか死んだらあてつけみたいで格好悪いからしないけど、私のこの気持ちを想い出なんかにしないで一生このままの気持ちで生きてやる、そして彼に最後の最後に私は本気だったとわからせてやる、と本当に思っていた。無論、んなことには、ならなかったし、ならなかったことを数年後の私は昔を思い返してうれしく思っていた。そんなときに、大学でとても記憶力の良い人と友達になった。他人からされた、ささいなことも忘れられず、私は傍から見ていて、どんだけ執念深いんだ!と思うことが多々あった。彼女は記憶力もよかったが、それに加えて、その時にうけた痛みを風化させる、ということを自分から拒否して生きているようにも見えた。ほっといたら、自分のその時感じた気持ちが自然と色褪せていくことをしっているから、それをさせないために、常に思い出して、反芻して、刻み付けているように見えた。もう何年もあっていないから、なんともいえないが、その時の彼女はとても生きていくのが苦しそうだった。でも、自分にはできなかった、「記憶の風化、という、自然の摂理に逆らう」ということができている彼女が少しだけうらやましかった。忘れることが可能なおかげで、痛みからは解放される自分は楽だと思うけれど、それゆえに失っていく、なにかを彼女は絶対忘れないのかな、と思ってた。そうできない自分は、とても健全で、そして凡人なのだなあ、と思った。 最近、TVで彼女のライブをみた。確かに、あの狂ったように入れ込んでいた昔の私はそこにはいなかった。けれど、久々に聴いた彼女の歌声と、彼女の創るメロディはやっぱり美しかった。そして、彼女の音楽自体が、当たり前だけれど、6年前のものとまったく同じではなかった。昔、焼け野が原、というタイトルの殺伐とした曲の中で描かれた「ムラサキの雲」は、6年後の今は、HAPPY ENDINGという曲の中にでてきていて、この曲を聴いたときに、だーっと泣いた。想い出になることを受け入れることができる。昔の自分、今の自分、昔の彼女、今の彼女、をなんか、そこに感じたんだよねえ。やっぱり、寂しく感じる時はあっても、時の経過に逆らって生きちゃいかんのではないか。多分、小難しく書いてるけど、自分も変わって、自分が尊敬する大好きな彼女も変化してて、それが素直にうれしかった。 なんか、わかりにくいね。今日の日記。しかも長い。 #
by halfbeak35
| 2006-11-10 23:55
| MUSIC
2006年 11月 08日
私のキムタクフィーバーはまだ終わってはいない。ひつこいようだが。 今回見たのはラブジェネレーション、略してラブジェネ。どんな話なのかも、誰がでてるのかも知らなかったんだが、なんせ最近ロンバケをみたところなので、ふたつの話がかぶってかぶってしかたがない。いつも同じ広告がどーんとでてきたり、キムタクの相手の女の子は両ドラマとも、突拍子もなく、負けん気が強く、被害妄想が強く、自己完結だ。そして、キムタクが思いをよせる相手は、両ドラマとも、可憐でお嬢様タイプだ。 個人的には、最初にみてしまったからか、ロンバケの方が好みだ。たぶん、山口智子の役のほうが、松タカコが演じた女の子より理解できたからだろう。今回はあれを上回る自己チュウな女の子で、ほんとに、キムタクに最終的に好きになってもらって、本当によかったね、といってあげたくなった。あそこまで振り回されて、それが好きになってしまうのだから、相当運命的な2人に違いない。 あと、純名理沙演じるキムタク初恋の人、水原がどうしても好きになれない。こう、なんというか、ピュア、素直、純真、そういったもので突き進み、それにより人を傷つけ、そして、それに悪気というか悪意がない。女子からすると、相当手ごわい、歯がたたないタイプだ。その子に文句をつけると、逆に自分が悪者に見えてしまうからだ。彼女の口癖は、「私のせいなの。私が悪いの。」だ。昔つきあっていたキムタクのお兄さんと今はつきあっているのに、キムタクと再会したときにそれを言わないし、お兄さんにはキムタクとつきあってたことを言わないし。その理由は「誤解されたくなかったから。あなたを傷つけたくなかったから」。そういう、変な考えがあとあと人を逆に傷つけてしまうのがわからないくらい素直なのだ。そこに、兄と弟、どっちが本当にいい男かまだ考えたい、どっちとも仲良くしときたい、などというヨコシマな思いなんかは、まったくないのだ。でも、昔の彼氏で、しかも今から自分の義理の弟になるキムタクに、誕生日に手編みの手袋なんか用意しちゃうし。私なんか好きな人にもマフラーまでしか編んだことないよ。そういえば、ずっとずっと昔、友達に、今の私の水原へのコメントと同じことを言われたことがある。その子は、負けず嫌いで、人に涙は絶対みせない、嫌なことがあったらいつもよりも倍、幸せそうな顔をしてやる、という人だった。今もちょっとそうだけど。彼女に、「あんたみたいに、物事を真正面から正座して見つめる人と絶対に、もめたくない。私は物事をいつも斜めからみて生きてる。あんたみたいな子と、男女関係でもめたら、男の子は絶対あんたのそのまっすぐさを良し、ととらえて、あんたに悪意がないからこそ、私はあんたに、いちゃもんをつけれない。つけたら、余計に私が悪者に見えてしまうから。」といわれた。ラッキーなことに彼女と一度もそういったトラブルはないし、今後もないだろう。それに、今の自分が水原な女だとも思わない。私は健全な範囲でヨコシマだ。ただ、その彼女の言葉はかなりはっきり覚えていて、だからこそ、水原の行動にいらいらしてしまった。 話は変わるが、なぜ人はみな、キムタクのモノマネをするとき、「ちょ、待てよ」というのか。このドラマでも散々キムタクは「ちょ、待てよ」を連発していたが、その中に、あ!これか!という決定的な「ちょ、待てよ」を探し出すことはできなかった。ただ、松たかこはいつも人の話を最後まで聞かずに飛び出してしまうので、キムタクも連発せざるをえなさそうであった。このセリフは、ラブジェネからの抜粋なのだろうか。それとも、まだ見ぬキムタクドラマからか。それを明かすための私のキムタクドラマの道は続く。さっき、ビューティフルライフ借りちゃいました。えへ。 #
by halfbeak35
| 2006-11-08 00:08
| MOVIE
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
メモ帳
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||